ぼくは高校生の時、野球部に所属していました。
当時、野球部の在り方として、大切にしているものがありました。
それは「応援される野球部」であること。
監督は、これをすごく大切にしていたんですよね。
でも、なんで応援される必要があるのか?
正直、入部当初のぼくはわからなかったです。
でも、今ならわかるんです。
監督の教えがあったからこそ、応援される生き方は、1番幸福を感じる生き方なのかもしれないと。
ボランティア活動に積極的な野球部
ぼくたち野球部は「人の役に立つこと」に誠心誠意で取り組んでいました。
- 試合観戦に行ったら、観戦後に必ず球場内のゴミ拾い
- 学校の体育祭準備は、練習時間を割いてでも手伝う
- 球技際の準備を手伝うのはもちろん、試合の審判にも取り組む
これらの活動以外にも時と場合によって様々なお手伝いをさせていただきました。
ぶっちゃけ、これらの活動に取り組んでいた時のぼくは「やらされている」感覚しかなかったです。
毎日遅くまで練習もありましたし、1日休みなんてほとんどないのに、さらに奉仕活動なんて・・・って。
それでも、他のチームの監督から感謝のお言葉を頂いた時や、学校の先生からはお礼としておにぎりを作ってくれたりと、嬉しいこともあったので、がんばれました。
やらされてる感満載で取り組んでたのはきっと俺だけ…。
それじゃ、ただの偽善者じゃんかよ…。
たくさんの方から応援された最後の夏の大会
ぼくたちのチームは強豪校でも私立でもありません。
いたって普通の公立高校でした(・ω・)ノ
戦歴も一回戦負けが多いのが正直なところ。
今までの大会では、強豪校とあたると「どうせ、勝てないんだろうなぁ」って思っていましたね。正直なはなし。
技術面、体格、選手層の厚さ、圧倒されっぱなしでした(・ω・)ノ
最後の大会でも、強豪校と対戦したんですが、技術面で負けているのは明らかでした。
でも、ひとつだけ私立の強豪校に負けていないものがあると感じていました。
それは、ぼくたちのプレーを応援してくれるファンの数です。
- 練習用のネットを無償で修理してくれていたおじさん
- 土日の練習試合は欠かさず、応援に駆けつけてくれていた地域の人達
- いつも練習後におにぎりを作ってくれていた学校の先生
- 学校の生徒が有志で集まって結成した応援団
恥ずかしい話ですが、グラウンドに立ってプレーした時に、はじめてたくさんの人達から応援されていることに、気づいたんです。
グラウンドに届く声、鳴り響くブラスバンドの演奏、これらが見えない力をぼくに与えてくれたんです。
それらを感じたぼくは、何としてでも勝たなくちゃいけない、応援してくれる人に喜んでもらえるような試合をするんだ!!
そう思いながら無心でプレーしていましたね。
ぼくは、この経験から応援の力のすごさを学びました。
声援とかブラスバンドの演奏が聞こえると、活躍するイメージしか湧かなかったなぁ!
たしかに、チャンスの場面、ピンチの場面は心強いよな。
世のために、人のために行動する人は応援される
なんで、あんなに大勢の人たちが応援してくれたんだろうか?
それは、やはりぼくたちがボランティア活動で積み上げてきた「感謝の数の現れ」だったんじゃないかなぁって、思うんです。
ボランティア活動に取り組む理由がわからなかったぼくですが、なぜ「世のため、人のために活動していたのか」今だからこそ、わかることがあります。
それは、応援される人は、本気で世の中を良くしたい、人の役に立ちたいと思って活動しているということ。
そして、その活動はみんなから感謝されます、応援されます。
応援されれば、もっと人を喜ばせたい、人の役に立ちたいと思うはず。
おもいやりの意識を大切にしていく
- 道端に空き缶を見つけたら、さりげなく拾って近くのゴミ箱に捨てる
- 電車で、立っているお年寄りの方がいたら席を譲る
- 外食に行ったら、食べた食器をテーブルの隅に置く
どんな些細なことでもいいと思うんです。
おもいやりの心を持って行動していれば、それは人の役に立っています。
おもいやりを持って、人の役に立ち、感謝され、応援される生き方もわるくないんじゃないかなぁって、思っています。
相手の喜ぶことをとことんしよう。
それも幸せな生き方の1つだな。